子供の頃、想像していた大人は
大人になったらみんな知識と常識を兼ね備えていて立派でみんな良い人だと、
20歳を超えたらみんなそのようになるんだと思っていました。
実際は子供と言われてた人達が年を重ねただけ。
(決して悪いニュアンスで言っている訳ではありません)
大人と勝手にタグ付けされた子供。
子供と大人の区切りって何なんだろう。
実際は年が経つにつれて偏見や損得感情や経験値により形成された価値観が絡んでいろんな人がいる。
小さい頃、純粋にできたことが年を重ねて変なプライドでできなくなったり、
(これも決してプライドを持つことを否定してる訳ではなく)
小さい頃は甘えることができたのに甘えるのは子供までだと年と共に素直に人を頼ることができなくなったり。
当たり前なことを当たり前に大切にし続けることも難しいし、意外と忘れてしまいがち。
だから小さい頃に経験したことや培ってきたものが習慣、日常になってその人を形成していると思うので小さい頃に触れる物、関わる人が大事なんだと最近思います。
だって人はそう簡単に変わらないから。
外見や小さな事は変わると思うけどその人の本質は変わらないんじゃないかと思うからです。
前に練習で利き目はどちらかという実験をしました。
左目だけでテニスすると当たるのに、右目だけでテニスすると全然当たらない。
で、そのことを実際の世の中に例えれるねという話になって、
『実際見えてる世界があるのに自分で勝手に見えなくする。見えてるはずなのに知らず知らずに見て見ぬ振りしてるね。自分の感覚で見ているね。』と。面白いですよね。(笑)
もちろんその感覚も大事だしそれまでの経験も大事にしていくべきなんだけども、その傍らにまっさらなフィルターがあれば、もっと素直に全ての出来事が入ってくるのになって。
でそれを持っているのが子供だよなーと思いました。
まぁまた何でこんなこと思ったのかというと、
大人って大人じゃないって思ったのは自分が大人じゃないからです。(笑)
自分の想像していた24歳はこんなんじゃなかった!(笑)こうも幼いんだと思ってもなかったです。(笑)
いろんな感情が渦巻く時もあって時々私って何面性持ってるんだよって怖くなるときもあります。
だから周りの大人達も怖いです。(笑)
表では違うこと言って裏ではこんなことやあんなこと思ってるんじゃないかって。
純粋さだけではやってけない、回らない世の中ではあるけど疲れます。子供の頃の純粋無垢さが羨ましくなる世の中でもあります。
知っていて良かったこともあると思うけど知らなくて良かったこともたくさんあったと思います。知らない方が自分の目で何かを、人を判断できることもあると思います。
色眼鏡かけずに人を見れたらなーと凄く思います。
“無知は罪”という言葉がありますが、
“たまに無知は武器”というのも追加しておいて欲しいな。
と最近思っていたのですが、なかなか上手く文章にまとめることができなくて今日まできました。
そして今日ラボで話をしていて印象に残る言葉がありました。
『子供の頃は大人に憧れ、大人は子供に憧れる。』
タイムリーすぎて心の中でびっくりでした。
これでうまくまとまったはずだ。(笑)
葉台子:)